昨年から竣工させて頂いた案件の写真をまとめられないでいる。今年も入れると10物件がまだ未掲載。今年こそはと思いながら半年が過ぎようとしている。。

さて、いわゆる建築写真竣工写真というのは、住む前に撮られることが多い。いさぎよく殺風景な何もない状態で撮ってもいいのだが、それだと味気なく建築や空間が主張しすぎるので、少しの家具と小物を用意して撮ることが多い。クライアントの生活の瞬間を切り取っている風だけど、あくまでもモデルハウスのように架空の住まいとして。あるいは入居済みの撮影もある程度はスタイリングして撮るのが一般的。

うちの物件でも撮影時は、自前で植物や家具をもっていくこともあるし、写っては困るなってものをみんなで移動したりすることは普通のこと。ありえない物量の小物を持ち込んで生活感をあえて出すみたいな矛盾したことをしてみたこともある。世の中のセールスとはそんなもので、当たり前と言えばそうなのかもしれないが、個人的にモヤモヤしていたのだ。もちろん過去や他の人を否定する話ではなく、建築写真というのはそういうものということ。そしてそんな写真を見て、未来のクライアントさんがうちの扉をたたくことになる。

さて先日、昨年お仕事させて頂いた、「鍛冶屋のいえ」「有田のいえ」「西三谷のいえ」「八尾のいえ」の竣工写真を撮りにいった。急を要したこともあり、半ば強引に1日に2物件回る強行スケジュール。。もちろんすでにお住まいだし、1年以上経っているものばかり。突然のことで撮れる場所も限られるだろうし、大変な撮影になると覚悟しカメラだけ片手に現場に向かった。

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結果的に言うと、すごく良かった。むしろ、1年後で良かった。

綺麗にすっきりと使ってくれている家も、物が多く雑然をしている家も、すべて良かった。ありのままでそのまま撮ってみたら、それで良かった。(嘘、ちょっと移動した!wそしてもちろん撮影前に掃除や綺麗にしてくれたんだと思う。。)

現実を前に重要なものを見落としていないか

当たり前のことをなぜ?と思われるかもしれないが、実際の住まいは、靴箱には土がついて汚れているし、キッチン周りにはいろんな調味料があり、流しには洗い物もある。子供がいればキャラクターのおもちゃが転がっている。リビングには建築写真では見当たらないティッシュの箱が必ずあるはずだ。クライアントは人に見せるために生活しているわけではなく、それがリアルだ。それに反して、できるだけプレーンな状態で、建築の美しさを見せたい、邪魔するものはできるだけ見せたくないというのが建築家の性。現実を前に重要なものを見落としていないか。そこにジレンマがあり、前述の矛盾を感じながら今まできたが、そのモヤモヤしたものが吹き飛んだ。

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住みこなしの空気感を持ち帰ること

この体験はすごく新鮮で、ショッキングなことだった。それぞれ担当してくれた大橋、道上にもすぐに編集した写真を送ったけど、みんな感動していた。設計するときに考える住まいのイメージや想定される使われ方と、リアルは一致しない。これは当たり前のようなことだけど、盲点なのは、このような小さな思い違いやズレのようなものは改善されることなく、繰り返される。不具合を直しにいくことはあっても実際に住みこなしの空気感を持ち帰ることはできない。建てて写真撮って終わりだと、それらをフィードバックする手段を持ち得ないのだ。

建築の特集で好きなのは、何年も前の住宅建築の訪問記だ。できたてホヤホヤの新しい空間より、どう住み手が住みこなしているかを見るとワクワクする。キッチン周りのカスタマイズや本棚にどんな本が並ぶか、何気ない生活のアイテムまで隅から隅まで見てしまう。

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写真は八尾のいえのもの。ここは外断熱にして構造材を現しにしたことで内装仕上げ材を省き、工期短縮とコストダウンを図った住宅。現在のお住まいは、この柱や間柱の間にクライアントが板をDIYで取り付け、壁一面の本棚にしていた。設計中には打ち合わせで「ここに棚つけたら本棚できますねー」なんて話はしてたけど、実物を見て、目からうろこだった。庭師さんの家というのも相まって、庭とともに家が成長していくのに感動した。そしてこの体験を写真に納めることができた。

そんな風に育つ建築を作りたいとずっと思ってきたけど、撮らせてもらった4つの家のそれぞれで感動があった。どうやらそのままでいいらしい。いいように見せる必要はなく、クライアントの住みこなしに委ねて、ありのままを見せて、それを気に入ってくれる人と仕事する。その正しい連鎖が続けばそんな幸せなことはない。

というわけで、これからは心置きなく1年くらい住んでもらってからゆっくり撮ります笑

撮った写真はぼちぼち更新しますのでお楽しみに。ではでは。